映画の中の、あのカメラ|25 アステロイド・シティ(2023)キエフ IV型

映画の中の、あのカメラ|25 アステロイド・シティ(2023)キエフ IV型

はじめに

皆さんこんにちは。ライターのガンダーラ井上です。唐突ですが、映画の小道具でカメラが出てくるとドキッとしてしまい、俳優さんではなくカメラを凝視してしまったという経験はありませんか? 本連載『映画の中の、あのカメラ』は、タイトルどおり古今東西の映画の中に登場した“気になるカメラ”を毎回1機種取り上げ、掘り下げていきます。

ネバダ州の砂漠の街に宇宙人が到来!?

今回取り上げるのは、鬼才ウェス・アンダーソン監督作品『アステロイド・シティ』です。舞台は1950年代半ばのアメリカ合衆国。隕石が作ったクレーターが唯一の観光名所である人口87人の小さな町、アステロイド・シティ。この町で“ジュニア宇宙科学賞”の表彰式が行われることになり、天才的な頭脳を持つ少年少女5人とその家族がやって来ます。世界的な戦場カメラマンであるオーギー(ジェイソン・シュワルツマン)は表彰される息子と娘3人を連れて町に入り、同様に表彰される娘を連れて町を訪れた女優ミッジ(スカーレット・ヨハンソン)と心を通じ合わせる関係に。そうこうしているうちに思いもよらない来訪者が現れるなど予想外の事態が巻き起こっていくという、ウェス・アンダーソンならではの独創的な世界観を完璧なセットと独特の映画的色彩で作り上げた傑作です。

1950年代の戦場カメラマンが使っていたカメラ

劇中でものすごく短いストラップを装着してオーギーが常に首からぶら下げているカメラ。その距離計窓のプレートには“スイスマウンテンカメラ”、エプロン上部には“ミューラー・シュミット”銘が刻印され、スイス国旗のバッジがついています。そのような加工がされて架空のカメラを装ってはいますが、それはキエフ IV型と呼ばれる旧ソ連邦のレンズ交換式レンジファインダーカメラでした。一瞥すると戦前のコンタックス III型のようにも見えますが、フィルム巻き戻し部の突起と、ファインダーフレーム窓下のシンクロ接点から機種が同定できます。

戦後のソ連邦で製造されたレンジファインダー機

キエフ IV型は、戦前にカール・ツァイスが開発・製造していたレンジファインダー機であるコンタックス III型をベースに、その製造設備一式を戦後の賠償として強制的に接収した旧ソ連邦ウクライナ共和国アーセナル工場において独自の進化を遂げたカメラです。現在の地政学的な観点からはウクライナ語の発音に準じてキーウと呼ぶべきかもしれませんが、本稿ではクラシックカメラの名称として馴染みのあるキエフとします。フランスのクラシックカメラ研究家、ジャン=ループ・プランセル氏の研究書によれば、キエフ IV型は1957年から製造が開始されたモデルです。コンタックス III型をデッドコピーしたキエフ III型よりも小型で反応の良い露出計を搭載し、フィルム巻き上げノブの意匠が同時代の旧西ドイツ製コンタックス IIIA型を模倣したスタイルになっているのが特徴です。

一眼式のレンジファインダーを採用

キエフ IV型の背面を見ると、構図を決めるビューファインダーとピントを合わせる距離計ファインダーを統合した覗き窓が1つのシンプルな姿をしています。これは戦前のコンタックス IIおよびIII型を源流とする一眼式ファインダーと呼ばれるもの。この形式のファインダーをライカが採用したのは1954年に登場するライカM3から。とはいえキエフ IV型にはライカM3のような撮影範囲を示すブライトフレームはなく、距離計像も虚像式でありライカM3の実像式でクッキリした矩形と見比べると、戦前にカール・ツァイスが設計した仕様を特に改良することなく継承している印象が強いです。

セレン光電池による露出計を搭載

キエフ IV型の天面には電気式の露出計が組み込まれています。アクセサリーシューには製造国であるソビエト社会主義共和国連邦をキリル文字で示すCCCPの刻印が読み取れます。旧ソ連邦のカメラは製造番号の上2桁が製造年なので、この個体の場合は1969年製ということになります。ライカであれば、もうM4の時代ですね。この露出計のスタイルはセレン光電池をカバーしている蓋をパカっと開けて巻き戻しノブを操作することでメーターの針を動かして適正露出を知るという戦前のコンタックス III型を継承するもの。フィルム感度の数字は旧ソ連邦のゴスト規格ですが、現在のISOと近似値であると捉えてもカラーネガやモノクロフィルムで撮影するなら特に問題はなさそうです。

フォーカシングギアによるピント合わせ

キエフ IV型はボディ側にヘリコイドリングが内蔵されています。標準レンズは内爪に、広角や望遠レンズはヘリコイドリング外周の外爪バヨネットマウントで装着する仕立てです。いずれの場合も、ピント操作ではレンズのリングを回さなくても距離計窓の近くに設けられた小さなギアを指先で回してあげることでレンズが繰り出されます。このギアを人差し指で操作しようと懸命になっているとカメラを保持している中指が距離計の窓を意識しないまま塞いでしまい『あれ、距離計像が見えない!』と慌ててしまうこともあります。ちなみに劇中で同機を構える世界的な戦場カメラマンであるオーギーは中指で距離計窓を塞ぎながら堂々とシャッターを押していて『それで距離計像が見えるんかい!』と突っ込みたくなるシーンもありますが、このことが本作の印象を悪くさせるものではありません。

旧ソ連邦の製品でシステム構築が可能

旧ソ連邦ウクライナ共和国アーセナル工場では戦前のコンタックスのクローン機であるキエフ各種に向けて交換レンズも製造していました。上の写真で装着しているレンズは戦前のコンタックス用に開発された高性能広角レンズ、ツァイス・ビオゴン3.5cm F2.8のデッドコピーレンズである1961年製造のジュピター12。レンズに刻印された直角プリズムのマークはアーセナル工場のシンボルです。アクセサリーシューに装着したシンプルな3.5cmレンズ用のビューファインダーはモスクワ郊外に設立された旧ソ連邦を代表する光学・機械工場であるKMZ(クラスノゴルスク機械工場)で製造されたものです。

なぜコンタックスではなくキエフを選んだのか

左のカメラは戦後ドイツが東西で分断され、ツァイスの本拠地であった東側のイエナから西ドイツ領となるシュトゥットガルトに米軍の保護により逃げ込んだツァイス・イコンの設計陣により再構成された戦後のコンタックス IIIAと呼ばれるモデルで、右がキエフ IV型です。戦後のコンタックス IIIAは戦前のコンタックス III型(キエフ IV型と同サイズ)よりもコンパクトになり、基線長は切り詰めましたが距離計窓の位置は撮影レンズ側に寄せてあるので指で塞いでしまう心配も減り、泣きどころであった鎧戸式シャッターを上下動させるリボンの材質を改め、破断しない構造に改良されています。それなのにオーギーは戦前のコンタックスの様式をコピーしたキエフ IV型を手にしていた理由とは何なのでしょう?

まとめ

それは、おそらく距離計を動かすギアの回転方向が戦前と戦後のコンタックスでは逆になっているからではないかと思います。オーギーが戦時中から旧式のコンタックスを使っていたと仮定するなら、体が覚えている操作ができるキエフのほうが戦後のコンタックスよりも断然使い勝手が良かったはずです。というわけでキエフ IV型を使うメリットとは、戦前のドイツ精密光学のエッセンスが感じられる元祖コンタックスによる撮影の所作を安価に味わえるということかと思います。とはいえ、キエフ IV型では戦前のコンタックス同様シャッターリボンの破断リスクがあることに加え、シャッター速度を決める重要なダイキャスト部品の脆弱さなども指摘されており、いつ壊れてもおかしくないし修理を請け負ってくれる相手を探すことも困難です。すなわち、今日が最後の撮影になるかもしれないという覚悟とともに持ち歩くべきカメラなのです。撮影しないで映画の小道具のように眺めて楽しむコレクション品ということであれば、特にネガティブに考える必要はないと思います。

 

 

■執筆者:ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。企画、主筆を務めた「LEICA M11 Book」(玄光社)も発売中。

 

 

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