映画の中の、あのカメラ|08 マディソン郡の橋(1995) ニコンF-36モータードライブ

映画の中の、あのカメラ|08 マディソン郡の橋(1995) ニコンF-36モータードライブ

はじめに

皆さんこんにちは。ライターのガンダーラ井上です。唐突ですが、映画の小道具でカメラが出てくるとドキッとしてしまい、俳優さんではなくカメラを凝視してしまったという経験はありませんか? 本連載『映画の中の、あのカメラ』は、タイトルどおり古今東西の映画の中に登場した“気になるカメラ”を毎回1機種取り上げ、掘り下げていくという企画です。

一生に一回の、遅すぎた恋の物語

今回取り上げる作品は、クリント・イーストウッドが監督・出演する『マディソン郡の橋』です。メリル・ストリープが演じるフランチェスカ・ジョンソンはアイオワ州マディソン群の片田舎で農場主の夫と2人の子供に囲まれた平凡な主婦として穏やかでどこか満たされない日々を過ごしています。ある日、家族の留守中に彼女のもとにフォトエッセイの取材でマディソン郡にある屋根付き橋を訪れたナショナル・ジオグラフィックの写真家、ロバート・キンケイド(イーストウッドが演じる年寄りだけれど独身の色男)と出会い、恋に落ちます。わずか4日間の情事の末、ふたりは結局別れてしまうのですが‥。

フォトエッセイストのキンケイドが使っていた機材

本作でふたりが出会う時代設定は1960年代の後半。キンケイドの契約しているナショナル・ジオグラフィックは、世界中の事象や風景、あるいは珍獣や怪魚の生態などをアカデミックな視点のテキストと濃厚な色彩のグラビア印刷の写真で伝えることを趣旨とする著名な雑誌でした(現在も紙版雑誌は健在ですが印刷も紙質も薄味です)。
その当時の記者が、いかにも使っていそうな機材として登場するのがニコンF-36モータードライブなのです。映画の本編導入部で、キンケイドの遺品が入った長持箱から取り出されたニコンF。プロの写真家なのでTTL露出計が内蔵されたフォトミックファインダーではなくシンプルな三角屋根のアイレベルファインダーが装着され、しかもF-36モータードライブがセットされていることにニコンマニアの方々は歓喜と驚嘆の吐息を漏らしたのではないでしょうか。

F-36モータードライブって何ですか?

ニコンFは数多くの映画の小道具としての採用例がありますが、そのアクセサリーであるニコンF-36モータードライブが銀幕上に映写されることは珍しいのです。フランシス・フォード・コッポラ監督『地獄の黙示録』で、デニス・ホッパー演ずる戦場写真家が何台ものニコンFを首からぶら下げているシーンで数秒間だけ登場しますが、本作では主役の小道具なので存在感が更に際立っています。
F-36モータードライブは、ニコンF専用の電動フィルム巻き上げ装置です。36枚撮りのパトローネ入り135フィルムを装填したニコンFを、巻き上げレバーを操作することなく自動で巻き上げられます。当初は別体の電池ユニットをケーブルで接続する仕様でしたが、グリップとレリーズボタン付きの直結バッテリーパックとの組み合わせで無類の機動力を発揮するアクセサリーとなりました。

本体は底上げされた裏蓋のようなスタイル

写真の左にあるのがニコンFの裏蓋で、右がF-36モータードライブの本体です。ニコンFはレンジファインダー機であるニコンSシリーズを母体にしてミラーボックスを増設することで一眼レフ化するという設計方針のカメラなので、ニコンSシリーズが模倣したツァイスのレンジファインダーカメラであるコンタックス各種に習って裏蓋が底蓋と一体化したL字の構造になっています。
その裏蓋をガバッと外して、その代わりにF-36モータードライブを装着する仕様になっているので、モータードライブにフィルム圧板がくっついていますね。ちなみにF36モータードライブの姉妹品として、裏蓋の左右に巨大なフィルムチャンバーが固定増設され、長尺フィルムを切り出して装填することで250枚の連続撮影が可能なF-250モータードライブという強面のアクセサリー(もちろん受注生産品)もありました。

シンプルな構造の機械的接合部

1970年代以降のモータードライブ各種には、おおむね数個の電気接点が設けられていてフィルム巻き上げ用のモーターの起動と静止あるいはレリーズのタイミングを通信するのが一般的ですが、ニコンF-36モータードライブは純粋に機械的な連動だけでレリーズと巻き上げを制御しています。
袋文字でFと記された厚底の内部はモーターとギアとフライホイールやカム機構などが実装されていて、ボディ底部と連結する2つのピンが突き上げたり下がったりすることで巻き上げ開始、巻き上げの完了・レリーズの開始などの動作を制御しています。

装着するボディは専用底板への交換が必要

とても重要なことですが、ニコンF-36モータードライブは、装着するニコンFのボディ底板を専用部品に換装してやる必要があります。左がノーマルの底板で、右がモータードライブに対応する底板です。底板に設けられた2つの穴が、モータードライブ本体から突き出してくる2つのピンの位置に合致します。
この底板にはピンの挙動に応じて作動するシーソー状のパーツがあり、それをニコンF本体の板バネに引っ掛けてからネジ4本で装着します。板バネの上下動でシャッター先幕を始動させる仕立てはバルナック型ライカを模したS型ニコンのシャッター機構をニコンFが継承したもので、ニコンが戦後に35ミリ判カメラを設計するにあたり、コンタックスからもライカからも学んでいたことが垣間見えてきます。

ただ専用底板に交換するだけじゃダメなんです

専用底板を装着したニコンFは、こんな感じです。運良くニコンF-36モータードライブと直結バッテリーパック、そして専用の底板が手に入ってボディとモーターを合体できたとしても、そのまま稼働させることができるとは限りません。板バネをシーソーが引っ掛けて動かす上下動のストローク閾値は、カメラの個体により異なるからです。
このことから、F-36モータードライブから突き出すピンのストロークを調整してあげる必要があり、その作業は当時の日本光学が行ってくれました。そんなわけでニコンF-36モータードライブは、作動調整済みのボディと一種に入手するほうが無難です。

裏蓋にはシャッター速度と連写の操作表がある

調整済みのボディとモーターがあれば作動させられる!と焦ってはいけません。巻き上げの秒間コマ数とカメラのシャッター速度およびミラーアップの有無に関して設定の条件があり、それが裏蓋のプレートに記されています。このチャートに従って、L・M1・M2・Hのダイヤルと、S(シングル)、C(連写)の設定をして撮影に臨みます。
ちなみに連写で最高巻き上げの4コマ・秒(H)の場合にはミラーアップした状態で1/125〜1/1000秒のシャッター速度しか使えません(かなり特殊な状況ですよね)。2.5コマ・秒(M1)にすればミラー連動で1/60〜1/1000秒。シングルショットであれば特に制約なく撮影が可能です。フィルムカウンターは逆算式で、0になると電源が遮断される仕様です。

モータドライブ装着時にも手動巻き上げが可能

この個体、初期型のニコンFの総金属製巻き上げレバーではありませんし、後期型New Fのパーツとも異なる、いわゆるUPI仕様の巻き上げレバーが付いていますね。UPI通信社だけでなく、当時のフォトジャーナリストは手動巻き上げを主に使っていたので、このようなパーツの需要があったのだと思います。
手動巻き上げは、F-36モータードライブを装着していても可能です。劇中でフランチェスカのポートレートを撮る際にF-36モータードライブの作動音が聞けるのか?と期待した刹那、キンケイドが手動で巻き上げるシーンには唸りました。これは調整されていない機体だったのか? あるいは電池室が腐食していて通電しないのか? 作動できなくなる原因を、ここで考えるのは野暮というものでしょう。あえてモーターで連写せず手動で1コマを巻き上げて撮る所作に、心に忍ばせた情緒の発露を感じさせる名シーンだと思います。

まとめ

映画の中に登場した“気になるカメラ”を毎回1機種取り上げるという主旨から微妙に外れて、今回はアクセサリーであるニコンF-36モータードライブと直結バッテリーパックのセットをテーマにさせていただきました。もはや実用的とは言えませんが、ゴツゴツした金属製のケースの中で元気よく作動するモータードライブの響きは実に小気味良いものです。

少しだけカメラ本体のことに触れさせていただきますが、映画に登場するセットはブラックボディのニコンFにクロームのアイレベルファインダーが装着されています。これは公開当時『マディソンセット』と呼ばれて一部のマニアの間で話題になりました。どうしてファインダーだけ銀色なのか? それは、アタマは白髪になっても恋する気持ちに衰えはないということを伝えたかったのではないかと私は思っています。

 

■執筆者:ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。企画、主筆を務めた「LEICA M11 Book」(玄光社)も発売中。

 

 

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