ライカ アポ・ズミクロンM f2/35 ASPH.|マチアルキ・ライカ(世田谷線編)
光に呑まれた静かな午後
「旅の過程にこそ価値がある」とは、古今東西の旅人が口にする至言です。しかし、その過程をいかに記録するか、どの「相棒」を連れ出すかという問題は、旨い酒場探し以上に、最重要かつ最大の難題と言えるでしょう
3月、花粉の飛翔に春の訪れを感じ、心がふわりと軽くなる季節がやってまいりました。麗らかな光に誘われて、私は愛機ライカM11 グロッシーブラックを防湿庫から取り出すことにしました。
この艶っぽいボディに合わせるのは、泣く子も黙る「魔法のレンズ」、ライカ アポ・ズミクロンM f2/35 ASPH.。今回はこの最強の布陣を手に、世田谷線沿いをゆるりと歩く小旅行へと洒落込んでみました。

■撮影環境:絞りF2 1/1000秒 ISO64 WB:オート
手のひらの中の「重力」と「美学」

■撮影環境:絞りF5.6 1/400秒 ISO64 WB:オート
ライカ アポ・ズミクロンM f2/35 ASPH.を手に取ると、まずその「凝縮感」に溜息が漏れます。レンズフードを含めても全長わずか約49.3mmというコンパクトな佇まい。しかし、そこには約300gという、見た目からは想像もつかない「ずっしりとした重力」が潜んでいるのです。
この凝縮感こそ、5群10枚という贅沢極まりない光学系と、ドイツの精密工学が結晶した証に他なりません。以前、ライカM EV1に軽いレンズを付けて歩いた時の「羽が生えたような軽快さ」も捨てがたいものですが、この「小さく、重く、そして美しい」塊を掌中に収める高揚感は、やはり格別でございます。
フィルター径はライカの伝統であるE39を継承。質感の高いねじ込み式のレンズフードを装着したその姿は、ルックスにうるさい愛好家をも沈黙させる気品を放っています。暇さえあれば弄り、酒を片手に指紋を拭き取っては、ひとりほくそ笑む。 このレンズを所有し、共に歩くこと自体が、私にとっては「人生の肯定」と言っても過言ではないのです。
「モンスター」が描く、容赦ないリアリティ

■撮影環境:絞りF2 1/1250秒 ISO64 WB:オート
今回のマチアルキは、豪徳寺から幕を開けます。江戸時代、彦根藩井伊家の菩提寺であったこの場所は、「招き猫」が奉納されるとして知られる歴史の香る聖地です。

■撮影環境:絞りF9.5 1/160秒 ISO1600 WB:オート
境内に足を踏み入れると、奉納された数千体もの招き猫がずらりと並ぶ圧巻の光景が目に飛び込んできます。ここでアポ・ズミクロンのシャッターを切れば、紡ぎ出される画はもはや精緻を極め、「写っている」というより「そこに存在している」という表現が適切に思えてきます。
「鋭利な刃物」で切り裂いたような鋭い解像力。小さな招き猫の一体一体が鬼気迫る描写で立ち上がる一方で、周囲を囲む大きな招き猫たちは、溶けるように素直で柔らかなボケを見せます。
このコントラストが、写真に中判デジタルを彷彿とさせる圧倒的な立体感をもたらすのです。

■撮影環境:絞りF8 1/500秒 ISO64 WB:オート

■撮影環境:絞りF2 1/320秒 ISO64 WB:オート
石段を絨毯のように覆う散り際の花びらには「諸行無常」の美学が宿り、美しく咲き誇る牡丹の内側にはある種の力強さを感じます。
アポクロマート設計の恩恵により、輝度差の激しい場面でも色収差はほぼ皆無。ハイライトからシャドー部まで、その階調の豊かさは目を見張るものがあり、高画素なM11のセンサー能力を限界まで引き出してくれます。
まさに「異次元のスナイパー」と呼ぶにふさわしい、モンスターレンズの片鱗をまざまざと見せつけられました。
昭和へタイムスリップしたような迷宮:三軒茶屋の誘惑

■撮影環境:絞りF2.8 1/125秒 ISO640 WB:オート
世田谷線沿を歩き、旅の終焉の地として選んだのは三軒茶屋。特に「三角地帯」と呼ばれるエリアは、戦後のヤミ市をルーツに持ち、酒呑みの血を騒がせます。
細い路地に小さな酒場がひしめき合う、独特のノスタルジックな雰囲気。エコー仲見世商店街を抜け、ゆうらく通りから三茶三番街へと急げば、そこはディープな記憶の埋立地。私の右指は、無意識のうちにシャッターを切るリズムを刻んでいました。

■撮影環境:絞りF6.8 1/125秒 ISO2000 WB:オート
さて、歩き疲れた体への最大のご褒美、いわゆる「大人の給水タイム」です。目指すは、今や希少となった「生ホッピー」を供する酒場。樽詰めの専用サーバーから注がれるそれは、瓶では決して再現できない、きめ細かく濃厚な泡を纏っています。テーブルに並ぶ酒と肴を記録する際、このレンズの寄れる能力と上質なボケ味が、テーブルの上のドラマをより一層引き立ててくれました。
春光を肴に、魂を遊ばす
豪徳寺から世田谷城址、松陰神社、そして三角地帯。見どころと撮りどころに満ちた世田谷線沿線の旅は、心地よい酔いと共に幕を閉じました。

■撮影環境:絞りF2 1/125秒 ISO320 WB:オート
アポ・ズミクロンM f2/35mm ASPH.というレンズは、35mmという「人間の視覚に最も近い」とされる画角において、もはやこれ以上の描写は存在しないと言えるほどの高みに到達しています。
日常の何気ない路地裏すらも、このレンズを通せば映画のワンシーンのようなドラマチックな舞台へと変貌してしまう。

■撮影環境:絞りF8 1/160秒 ISO64 WB:オート
それは単なる機材の所有欲を満たすことではなく、「世界をいかに美しく見るか」という新しい視角を、自分の魂にインストールするような体験なのです。一瞬の光を永遠に閉じ込めるための相棒として、これ以上の存在は他に考えられません。
次は、この「光の魔術師」を携えて、どの角を曲がってみましょうか。
■写真家:大門正明
大門美奈と2011年リコーRING CUBEの公募展「Portugal」でデビュー。以来、妻に鍛えられながら制作を続けている。グループ展への参加のほか2022年に2人展「Bright Britain」など。DAIMONWORKS主催。















