カメラのキタムラスタジオマリオカメラのキタムラ

デジカメプリント・フォトブック・カメラのことはおまかせ!

閉じる

種清豊のフォトコラムコラム・ギャラリー

2012.04.06【Vol.058】

クラシックカメラ話「コンタックス」

コンタックスという名前を冠したカメラは今から約7年前2005年まで存在していました。ヤシカ及びそのヤシカを傘下におさめた京セラが発売していたカメラブランドとして製造、販売され、デジタル一眼レフもそれら製品の中にありました。しかし現在ではそのブランドを使ったカメラは生産されておらず、中古でしか入手できません。日本ではコンタックスだけが使えたレンズの評判の高さ、昔からのトップブランドとしてのイメージなど高級路線ではありながらも非常に多くの写真愛好家を魅了したカメラブランドでした。

そのコンタックスですが、1932年3月にツァイス イコン社から「コンタックスI型」として登場しました。使用フィルムは35mm、金属製よろい戸式シャッター、アルミ合金ダイキャストボディーと、小型カメラの中でも格段の堅牢性を備えた高級カメラでした。レンズは専用マウントの交換式でライカと違いはじめから距離計連動式でした。距離計の構造物自体も大きく長く作られていたのでライカに比べ望遠レンズでの測距精度は高いとされています。1936年にはI型をより使いやすくしたII型、そして電気露出計を搭載したIII型が登場します。おりしもベルリンオリンピック開催の年で、通称オリンピアゾナーと呼ばれる180mmの望遠レンズも発売されました。

よろい戸式シャッターと距離計部品

よろい戸式シャッターと距離計部品

その後は第二次大戦が開始されてしまい戦前までのコンタックスはIII型で終了してしまいます。戦後コンタックスなどの生産設備は戦後賠償という形でソ連に接収されてしまい、ソ連においてコンタックスのコピーが作られるようになります。一方で本家ドイツでも1950年にIIa翌年にIIIaが発表、戦前型に比べ整備性が向上し、機能面ではシンクロターミナルが設置されました。しかしながらライカのバルナックからM型のような大幅なモデルチェンジは行われずIIIa型をもってコンタックスは最終型となり1958年ごろには生産を終了、その後は一眼レフの生産へとシフトしていきます。

II型とIIIa型
II型とIIIa型

戦前戦後を通じてドイツのカメラ、写真産業は世界トップレベルで、なかでもライカ及びコンタックスはドイツ製の高級精密35mmカメラ、拡張性、交換レンズの優秀さなど互いにライバルのような位置づけで見られることも多かったようです。日本国内においてはそれらに優劣をつけるような雑誌記事や評論が出されたりして、大きな問題になったこともありました。カメラが現在のように手軽に所有できる時代ではなかったのは当然ですが、特にライカ、コンタックスといえば高嶺の花も高嶺の花でした。よくライカ一台家一軒とたとえられますが、ライカより価格が高かったコンタックスの当時の定価(昭和10年前後)が900円~1000円以上とされ、当時流行った文化住宅という平屋建売りが1000円程度の価格帯であったことを考えると、今では考えられないほど外国製カメラが高かったのがわかります。

当時は限られた人にしか所有されなかったカメラなのですが、そこに対する一種の強い憧れがライカ同様コンタックスにも向けられたのは事実でしょう。本家での生産が消えた後も、日本でコンタックスのブランドが長く愛された理由にはコンタックスでしか味わえないと、伝説のように語られるすばらしい描写性、そして昔からライカ以上に多くの人の羨望の的であったからなのではないでしょうか。