映画の中の、あのカメラ|11 地雷を踏んだらサヨウナラ(1999) ニコンF2フォトミック
はじめに
皆さんこんにちは。ライターのガンダーラ井上です。唐突ですが、映画の小道具でカメラが出てくるとドキッとしてしまい、俳優さんではなくカメラを凝視してしまったという経験はありませんか? 本連載『映画の中の、あのカメラ』は、タイトルどおり古今東西の映画の中に登場した“気になるカメラ”を毎回1機種取り上げ、掘り下げていくという企画です。
カンボジアに消えた戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の物語
今回取り上げる作品は、五十嵐匠監督の『地雷を踏んだらサヨウナラ』です。フリーランスの戦場カメラマン、一ノ瀬泰造の手記をもとに制作された本編の舞台は1970年代初頭のインドシナ半島。通信社に戦場の様子を記録したネガを切り売りすることで一ノ瀬は日々の糧を得ています。ベトナム戦争の拡大とともに激化するカンボジア内戦の渦中で、解放軍であるクメールルージュ(赤いクメール)の聖域であるアンコールワットを撮影したいという思いに取り憑かれ、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を残して一ノ瀬はジャングルの中に分け入ります。そして遂に幻の遺跡の撮影に成功するのですが、そこで彼を待ち受けていた過酷な運命とは‥。
劇中に登場するニコンの旗艦機

劇中で一ノ瀬泰造演じる浅野忠信がメインの機種として使用しているカメラが、1971年にニコンFの後継機として市場投入されたニコンF2フォトミックです。ファインダー交換が可能なニコンF2のボディに、Cds(硫化カドミウム)を受光素子とするTTLメーターを内蔵したフォトミックファインダー(DP-1)を装着したもの。一ノ瀬はニコンF2フォトミックと共にニコマートFTnのブラックボディも携えていますが、いずれも戦地での使用に適した堅牢なフルマニュアル機械式で、TTL測光した露光値をアナログ指針で確認できることが特徴です。
背中が語る、ニコンFとの相違点

映画の中では見られませんが、これがニコンF2フォトミックの後ろ姿です。ニコンF2は、プロの使用に耐える一眼レフとして絶大な支持を得ていたニコンFの世継ぎとして企画されたモデルです。それゆえフィルム巻き戻しクランク基部のフラッシュユニットを装着するためのシューや、アイピース左下方向に設けてあるファインダー交換のためのロック解除ボタンなどの共通点が見出せます。ニコンFとの相違点としては、撮影中のフィルムのパッケージを切り離して挿入しておけるメモホルダーの存在があり、さらにこの裏蓋は向かって右サイドの蝶番で固定されていて、横方向に開きます。
露出計のためにボディ内に電池室を設置

ボディ底蓋のフィルムパトローネが入る部分の直下に開閉キーがあり、CからOに回すとパカッと裏蓋が開きます。この時代の35ミリ判カメラとしては一般的ですが、先代のニコンFでは底蓋と裏蓋が一体化されたスタイルで、ズボッと下に抜き去る仕様でした。これは日本光学が戦後間もない頃にレンジファインダー機であるニコンS型を設計するにあたり、戦前の距離計連動式カメラの雄であったコンタックスの構造を模倣し、そのニコンS型にミラーボックスを増設するという思想で設計されたのがニコンFだったから。それに対してニコンF2は1930年代のコンタックスから連なる因習的な仕様から脱却したことに加え、交換可能なファインダーの露出計に必要な電源もボディ側に内蔵させています。
上からもメーターの指針が確認できるファインダー

ファインダーに通電させるためのスイッチは、巻き上げレバーを予備角に引き出してボディに赤いドットが見える位置にすることでONになります。フォトミックファインダーにはシャッターダイヤルと同軸の円筒にフィルムASA感度(現在の呼称はISOですがそれと同等)が表示されていて、銀色の部分を上げて回してセットします。天面にはファインダー内の表示に使う明かり取りの窓と、アナログ指針が左右に振れる小窓があり、カメラを構えずに上から露出を確認できる仕様です。
ファインダースクリーンも交換可能

フォトミックファインダーを脱着するには、ボディのロック解除ボタンを押し、ファインダーの右側面にあるロック解除レバーを押しながら時計方向に回すという作業が必要で、この構造はニコンFフォトミックFTnファインダーから継承されたもの。ファインダーを外してからボディのロック解除ボタンを押すことで、ファインダースクリーンの交換も可能です。ファインダースクリーンを落とし込むボディの外枠には、フォトミックファインダーに電源を供給するための接点が2つ設けられています。
開放測光を可能にする絞り情報伝達用の爪

TTL測光を可能にするためには、装着したレンズの開放F 値をボディ側に伝達してあげる必要があります。交換レンズの絞りリングに取り付けられた通称“カニの爪”と呼ばれるパーツはF5.6の位置に設けられており、これをファインダーの下にあるピンと嵌合させ、レンズ交換のたびに最小絞り、そして開放絞りへとリングをガチャガチャと往復運動させることで装着されたレンズの開放絞り値をカメラボディの露出計に覚えさせるという儀式めいた操作はニコンF用のフォトミックFTnファインダーと同様です。ニコンF2の登場と同期してニコンFマウントの交換レンズのピントリングには合成樹脂が巻かれて風体は新しくなりましたが、“カニの爪”を用いる方式は健在です。
装着レンズの開放F値をファインダーに表示

ニコンF2フォトミックファインダー(DP-1)は、Nikonロゴの右脇に小窓があり、絞りリングのガチャガチャを行うと装着レンズの開放F値を表示してくれます。この小窓が後継機種のフォトミックAファインダー(DP-11)では廃止されるので両機の区別をする際の外観上の目安になります。劇中ではニコンF2のアタマに乗せてあるのがDP-1なのか、その後1977年に登場するDP-11なのか判然としないのですが、一ノ瀬泰造がインドシナで行方不明となったのは1973年であることを鑑みれば、DP-1である方が時代考証としては正しいと言えます。
ニコンFの栄光を引き継ぐカメラ

写真左は、ニコンFの最終モデルにフォトミックFTnファインダーを装着したもので、写真右のニコンF2フォトミックが上市されても3年にわたり併売されていたそうです。ニコンF2は日本光学らしい堅実さで世代交代をしつつ、電源をボディ側に配置することでファインダーのサイズを小型化(とはいえ結構な存在感です)。ボディの末端は丸みを帯び、シャッターボタンもレンズマウント側に移動して操作性を向上させています。ちなみにニコンFのシャッターボタンが裏蓋側に寄っているのは、ご先祖モデルのニコンS型のシャッター機構をバルナック型ライカそっくりに設計したことが原因で、ニコンF2はライカ初号機の生まれた1920年代から連なる因習的な設計から脱却したとも言えます。
まとめ

ニコンF2用のフォトミックファインダーは、本稿に登場したDP-1を皮切りに2点式LED表示にしたフォトミックS、受光素子をSPD(シリコンフォトダイオード)化して3点式のLEDにしたフォトミックSB、ガチャガチャ操作不要のニッコールAiレンズに対応したアナログメーターのフォトミックAおよびLED表示のフォトミックASと地道な進化を遂げていきます。
その一方で露出計なしのアイレベルファインダーやゴーグルをしていても視界を確保できるアクションファインダーなども用意され、ニコンF2は多彩な用途に対応するシステムカメラの中核として1970年代を駆け抜けたのでした。ニコンF3が登場する1980年に生産完了しましたが、機械式であるがゆえに適切なメンテナンスを施せば半永久的に活躍してくれるポテンシャルを持つことが本機の魅力です。
■執筆者:ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。企画、主筆を務めた「LEICA M11 Book」(玄光社)も発売中。












