映画の中の、あのカメラ|10 レイブンズ(2025) Part2 小西六Pearl

映画の中の、あのカメラ|10 レイブンズ(2025) Part2 小西六Pearl

はじめに

皆さんこんにちは。ライターのガンダーラ井上です。唐突ですが、映画の小道具でカメラが出てくるとドキッとしてしまい、俳優さんではなくカメラを凝視してしまったという経験はありませんか?

本連載『映画の中の、あのカメラ』は、タイトルどおり古今東西の映画の中に登場した“気になるカメラ”を毎回1機種取り上げ、掘り下げていくという企画です。

写真家の“表現者としての葛藤”を描いた映画

今回取り上げる作品は、前回に続いてイギリスのマーク・ギル監督の『レイブンズ』です。本作は世界的な評価の高まる日本人写真家、深瀬昌久をモデルに事実とフィクションを織り交ぜながら、日本独自の写真文化が生み出された時代背景をベースに作家の精神世界を丹念に描き上げた作品です。

レイブンズ(RAVENS)とは、深瀬の代表作のモチーフであるカラスのこと。映画の中ではクリエイションに関する過激な進言を繰り返すカラス人間が深瀬の幻覚として要所要所に登場しますが、その存在と同じくらい重要な役割を果たしているのが今回ご紹介する小西六のカメラPearl(パール)です。

入学祝いに母が贈ってくれたカメラ

北海道で写真館を営む深瀬家の長男として生まれ育ち、高校の入学祝いとして母がプレゼントしてくれたカメラ、それが小西六のパールⅡ型でした。『一生、大切にします』と感謝の言葉を口にする深瀬少年と母親とのアタッチメント(愛着)は潤沢なものですが、過酷な兵役を生き延び、敗戦後の日本に復員して婿養子として写真館の跡を継いでいる父親と深瀬との確執は見ていて息が詰まるものがあります。すなわち、東京で勉強して写真表現を追い求めたいという深瀬の意志に反して、父親は写真館を継ぐことが長男の義務であると主張して譲らないからです。

小西六パールってどんなカメラ?

映画の中では母親の愛情の象徴として登場する小西六パールは、戦前に初号機が設計された小西六(現コニカミノルタ)のセミ判クラップカメラです。劇中に登場するのは1951年に登場した戦後の改良型モデルであるⅡ型ですが、携行時にはコンパクトに折りたためて、撮影時にはカパッと開いてレンズの装着された前板をボディから伸びた腕木で保持するという構造は戦前のモデルと同じです。

劇中、東京で生活する深瀬を訪ねてふらりと現れた父親は、机の上にパールがあることに気づき『おまえ、まだこんな古いのを使っているのか?』と呟くなり思いっきり壁にカメラを投げつけてぶっ壊すシーンがあります。蓋をしていればまだしも、腕木を伸ばした状態ではひとたまりもありません。映画の後半では修理が完了して復活したパールが登場してホッとさせられますが、カメラを投げつけるのは映画の中だけにしたいものです。

120ロールフィルムを装填する

それではパールⅡ型の使い方を見ていきましょう。フィルムは裏紙付きの120タイプのロールフィルムを使用します。今回は小西六のカメラということでヴィンテージの小西六製サクラカラー400絶版フィルムでデモンストレーションを行います。カメラを折りたたんだ状態ではフィルムのアパーチャーに迫る位置に撮影レンズの後球が見えています。

撮影サイズは縦6×横4.5センチ。通称では645とかセミ判と呼ばれています。Semiは英語で『半分』を意味する接頭語ですが、6×9判がクラップカメラのスタンダードとして普及していた時期に、その半分のサイズで撮るからセミ判と呼ばれたのだと思います。

フィルム先端の紙を空きスプールに挿入

サクラフィルムといえば、シンボルカラーはこのオレンジ色だったなぁ〜。と感慨深い人は相当な写歴の持ち主であろうと想像します。左にロールフィルム本体を挿入し、右の空きスプールのスリットに紙のフィルムガイドを差し込んでテンションをかけながらキーを時計方向に回していきます。

スタートマークは無視して進みましょう

しばらく巻いていると、フィルムの裏紙にSTARTのマークが出てきますが、劇中に登場するパールⅡ型は自動巻止めのないモデルなので、このマークは無視して大丈夫です。後継機種のパールⅢ型になると、このスタートマークを利用することで最初の1コマ目を自動でセットすることが可能になります。

フィルムのコマ数を裏蓋の赤窓で確認する

カメラの裏蓋には、小さな引き戸があって赤い窓が設けられています。ここに出てくる数字を頼りにフィルムを巻き上げます。120ロールフィルムの裏紙には上段が6×9、中段が6×6、下段が6×4.5判に相当する数字が印刷されていて、6×4.5判の場合16コマの撮影が可能です。数字が行き過ぎてもコマ間が開いてしまうだけなので慌てなくても大丈夫ですが、次のコマも同じように行きすぎた所まで巻かないとコマ間が詰まったり被ったりする可能性があるので用心しながら操作すると良いと思います。

ピントの操作と連動する距離計を搭載

アクセサリーシューの脇にあるボタンを押すとロックが解除され、ガバッとレンズボードが展開されます。レンズのユニットとカメラボディは蛇腹で連結されていて、その素材は丈夫な和紙です。とはいえ製造から相当な年数が経過していますので、蛇腹の折り目から漏光している機体も多いので、ピンホールがある場合は修繕が必要です。

レンズの距離リング操作に応じてボディ側のカムが押され、二重像合致式の距離計でピント合わせが可能です。パールⅡ型ではトッププレートに設定中の距離と、絞り値に応じた被写界深度を示してくれる表示盤があります。戦後生産されたパールに記された距離単位はⅢ型まではf(フィート)の場合が多く、占領軍である米国の規格に迎合せざるを得なかったのではないかと推測されます。

レンズは名玉の誉れ高いヘキサノン

レンズは写りの良さで定評のあるヘキサノン75mm。ツアイスが戦前に開発した3群4枚のテッサータイプのレンズは数多くのカメラメーカーが模倣したものですが、同時代のマミヤシックスに採用されたテッサータイプのズイコーでは大半が白濁しているのに対し、パールのヘキサーは綺麗な状態を保っているものが多いのも安心できるポイントです。

シャッターはコンパーラピッドに酷似した国産のコニラピッドで最高速度は1/500秒。フィルムの巻き上げとシャッターのチャージは連動していませんので、撮影するにあたりコッキングしてあげる必要があります。劇中で浅野忠信が扮する深瀬昌久がフィルム巻き上げからコッキングそしてレリーズという一連の操作を流れるようにこなしているのも映画の見どころの一つです。

距離計が非連動の過渡期モデルRSとの比較

ちなみにパールⅠ型というモデルは戦後ほどない1949年に登場しましたが、ボディ側の距離計を操作して、その数値をレンズに移し替える必要がありました。パールⅠ型のシャッターユニットなどを改良して1950年に登場したのが写真右のパールRSです。

ご覧のとおり写真左のパールⅡ型と見た目の感じは大差ないです。トップ画面のイメージカットに登場させた機体は、パールⅡ型のつもりだったのですがパールRSだったことに気づいたのは撮影セットをバラしてからでした。というわけで意図せぬモデルがトップ画面に登場してしまったことをお詫びします。

セミ判カメラの最終モデルはパールⅣ型

戦後のパールシリーズは、スタートマークを利用して1コマ目の自動セットが可能でコマ送りも自動巻き止めになったパールⅢ型を経て、採光式ブライトフレームファインダーを新設計のダイキャストボディに実装したパールⅣ型へと進化を遂げて終焉を迎えます。

写真右のパールⅣ型が登場した1959年時点ではクラップカメラは時代遅れの様式とみなされていたことから生産台数は少ないですが、非常に精密な作りで昭和時代の耐久消費財の鑑のような存在感のあるカメラです。

まとめ

パールⅡ型を中心に、その兄弟機も少々ご紹介させていただきましたがいかがだったでしょうか? 35ミリ判のフルサイズと比較して、フィルム面積の大きさから多くの情報量をキャプチャーできるセミ判のカメラには現在でも通用するアドバンテージがあります。

特にパールシリーズは折り畳んだ際のコンパクトさも際立ち、持ち歩くことが辛くないのもポイントです。しかもセミ判なので16枚も撮影できて、6×6判の12枚よりもコストパフォーマンスに優れてもいます。素早く何枚も撮ることには向いていませんが、フィルム写真だけが持つルック&フィールを味わいたいときに小西六パールは有力な選択肢となるカメラだと思います。

 

■執筆者:ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。企画、主筆を務めた「LEICA M11 Book」(玄光社)も発売中。

 

 

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