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種清豊のフォトコラムコラム・ギャラリー

2011.11.04【Vol.036】

クラシックカメラ話「フォクトレンダー」

今回は世界でも有数の歴史を持つ光学機器メーカー「フォクトレンダー」についてのお話しです。

といってもこのメーカー現在は過去の製品及び社名の商標権を持つのみで実際にはカメラの製造はしていません。

今から約250年前オーストリアのウィーンで創業したフォクトレンダー社。
日本では江戸時代です。もともとは計測機器や光学製品製造の小さな工場でした。19世紀に入り同社のオペラグラスが世界的に評判となり会社は順調に経営を続けます。1820年代に写真が発明され、次第に写真関係の製品、主にレンズの製造を始めるのも時代の流れに追いついている証拠です。そして1841年世界で始めての全金属製カメラを製造販売しました。このカメラについているレンズの開放F値はF3.7と言われています。このF値、現在ではそれほど明るいとは思いませんが、当時としては非常に明るく、それまでのレンズ及び感光材料でおよそ15分から30分かかっていた露光時間が、晴れた日で約1分強~1分半に短縮された という優れものでした。このカメラ実際どれほどの数が売れたかわかりませんが、現在オリジナル数本の存在が確認され、後年レプリカが数百台生産されています。実際レプリカを見たところ、現在のカメラの形とは大きくかけ離れていて、大砲の弾を横に寝かせたような独特の形をしています。重量もずっしりと重く、当然ながら当時の感材の関係上、手持ちでの撮影は完全に考えられておらず、専用の台座に設置しての撮影になります。また、撮影できる写真は8センチの円形ガラス乾板に記録されます。

他にも世界初がこのメーカーにはあり、時代は進みますが、1960年写真用ズームレンズを販売したのもこの会社ですし、1965年にはフラッシュ内蔵カメラ「ビトローナ」を世に初めて出したのもフォクトレンダーです。

乾板カメラ、スプリングカメラ、レンジファインダーカメラ、二眼レフカメラ、一眼レフカメラ、コンパクトカメラと、カメラのあらゆる種類の製造販売を行い戦前、戦後を通して急成長していくフォクトレンダー社、その会社のカメラは大変デザインが優れていてコレクターにも人気の高いカメラが数多くあります。決して高級機種だけではなく、普及モデルですらそのデザインが大変洗練されていて、なるべく突起物を減らし、普通金属製カメラに見られる化粧ネジが殆ど見受けられません。またメッキが大変キレイで50~60年前のカメラとは思えないぐらいの輝きが残っています。

そんなフォクトレンダー社ですが1960年代に入り他のドイツのカメラメーカー同様日本のカメラメーカーに次第に押されていきます。写真の歴史に名前を残す仕事をしてきたカメラメーカーも1969年、ツアイスグループと合併して何とか生き残りをかけましたが、すぐにツアイスがカメラ販売からの撤退を1971年に発表、その後ローライ社に商標を譲渡したりしましたがローライが倒産したことで、フォクトレンダーの名前がついたカメラがついになくなってしまいました。

現在、フォクトレンダーの名前がついたカメラは製造販売されていません。しかし、1999年に日本のコシナというカメラメーカーがフォクトレンダーの商標使用の許可をもらうことでフォクトレンダー銘のカメラが生産されることになりました。

かつてはドイツのカメラ産業に大打撃を与えた日本でその名前のカメラが生産されるというのはなんとも皮肉なことです。ですが往年のカメラメーカーの名前を復活させるということはどれだけフォクトレンダーが写真界に影響を与えたかが伺えるのも事実ですし、多くのクラシックカメラ愛好家にとっても大変うれし いことです。