M型ライカで距離を測り、人との距離を学ぶ|写真展『Mの旅人』開催記念 石井朋彦氏スペシャルインタビュー

ShaSha編集部
M型ライカで距離を測り、人との距離を学ぶ|写真展『Mの旅人』開催記念 石井朋彦氏スペシャルインタビュー

はじめに

「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」等の映画をてがけてきた映画プロデューサーであり、写真家の石井朋彦氏がShaShaで執筆する紀行連載「Mの旅人」では、「被写体との距離感」をテーマに、M型ライカとの旅の中で撮影した写真とともに連載してきました。
 同テーマの写真展を新宿北村写真機店 B1F ベースメントギャラリーで2025年7月31日迄開催しています。本記事では写真展開催を記念して、石井朋彦氏がどのようなアプローチで写真と向き合いM型ライカでの作品づくりをしているのかについてインタビューを行いましたので是非ご覧ください。

 

ライカとの出会いとプロデューサーの経験

– 写真を始めたきっかけを教えてください

私はアニメーションを中心とした映画のプロデューサーをしているのですが、40才を過ぎた頃に、このあとの人生が見えてしまったような気がしたのです。
ミッドライフクライシスというと大げさですが「これからどうやって生きて行こうか」と考えていた矢先に、手にしたのがカメラでした。

きっかけは「君たちはどう生きるか」という映画の制作中に、宮﨑駿監督をソニーα7 IIIで撮り始めたことでした。
「今のデジタルカメラはこんなに綺麗に写るんだ!」
夢中で撮り続けるうちに、宮﨑駿という歴史上の人物を撮るのであれば、ライカで撮るべきなのではないか……と思い立ち、友人に相談したところ、ライカ銀座店に誘われたのです。気が付いたら、ライカQ2を購入することになっていました(笑)。
もっと写真を学びたい……と、写真家・渡部さとるさんに弟子入りし、渡部さんのYouTubeチャンネル(2B Channel)に出演させていただくようになり、カメラと写真の世界に夢中になりました。気がついたら、ミッドライフクライシスはどこかへいっていました。
M型ライカを手にしたのも、渡部さんから、ライカM9をお借りしたことがきっかけでした。ライカM11、ライカ M11 モノクロームと、M型ライカの魅力にとりつかれ、今は、ストリートスナップはライカ M10-PとライカM10-Rをメインに、ライカM11やライカQ3も仕事で大活躍しています。

– 映画プロデューサーの経験は写真に生かされていますか

渡部さとるさんから「写真を勉強するなら美術を勉強した方がいい」とアドバイスを頂き、最初の半年間は、写真技術を学びながら、美術史を勉強しました。
高畑勲監督や宮﨑駿監督も、映画制作の根っこに美術に対する深い造詣があります。映画づくりは勉強に近いところがあって、描くべきテーマや題材を徹底的に学ぶことで発想を得ます。アニメーションや映画制作に関わった30年近い年月は、写真を撮ることにも生きていると思います。

– ShaShaでの連載記事で幅広く、深い知識で写真について語られていると感じるのはそういった学びがあったからなんですね。他にも経験が生かされていることはありますか

私は、興味のあることは徹底的に勉強するけれど、テスト前になると勉強するのが嫌で両腕が上がらなくなるような子供でした。高校を卒業してすぐに映像制作の現場に入り、ものづくりの現場の魅力に取り憑かれてからは、興味があることに集中してきました。
写真の先生は渡部さとるさんや、萩庭桂太さんですが、根っこは宮﨑さんから学んだと考えています。宮﨑駿監督作品は、標準レンズを中心に画面構成がなされています。キャラクターが身近に感じられ、親しみやすいのはそのためです。『GOSHT IN THE SHELL/攻殻機動隊』で有名な押井守監督は、シーンにもよりますが、広角レンズ。押井さんは人間よりも、世界そのものに興味がある。宮﨑さんは、人間への興味がベースにあるんですね。レンズ選びには、作り手の世界を見る眼差しが反映されると思います。

宮﨑さんのレイアウトは、50mmの標準レンズの中に、28mmレンズで写るくらいの情報量を詰め込んでいます。標準レンズで被写体を捉えながら背景世界の情報量を上げている。私は宮﨑さんに習い、50mmレンズを手に、情報を詰め込みたい時は後ろに下がり、切り取りたい時は前へ進むようにしています。自分の足で動きながら「宮﨑さんだったらこう描くだろう」と想像しながら撮っているという感覚でしょうか。

撮影距離と求める色

– 撮影距離はいつ頃から意識されるようになったのですか

撮影距離を意識するようになったきっかけは2つあります。ひとつは、渡部さとるさんから「もっと引いて撮った方がいいよ」とアドバイスを頂いたことです。50mmレンズを手に、自らの足で動くことによって、被写体との距離感をつかめるようになる──と。
翌日、いつもよりも引いた場所から宮﨑駿さんの背中を撮ってみたら、作画用紙や鉛筆、飲みかけのコーヒーやポスター、そしてスタッフなどが全部写るんですね。ただ、漫然と撮っていた時の写真よりも、現場の臨場感が写っていた。
宮﨑さんからの距離感も変わるので、写真を見る人も、少し遠くから宮﨑さんの仕事をのぞいているような写真になっている、と感じたのです。
「距離感って面白い」と感じたきっかけでした。

ふたつめは、写真家・萩庭桂太さんとの出会いです。
萩庭さんの「M型教習所」で学び、ご本人から貴重な指南を頂くことで、「レンジファインダーカメラの距離計の精度を信じること」「自分にとって心地よい距離を見つけてから撮ること」の大切さを学びました。
光学ファインダーを通して見た現実の世界の光や色彩を記憶し、現像することで、カメラのスペックや設定にとらわれることなく自らの見た世界や心の動きを写真を通して伝えることができる。お二人から学ぶことで、ますます写真にのめり込んでいったのです。

M型ライカの最短撮影距離は、最近はもっと寄れるレンズもありますが、0.7mです。
人間の腕の平均的な長さは、指先までで0.7m。日本刀の刃の長さも平均0.7mなのだそうです。
距離計指標がついているマニュアルレンズを扱ったことがある方は、0.7m〜3mくらいの間のヘリコイド(レンズの回転機構)の駆動幅と、3m〜無限遠の間の駆動幅が異なることに気づかれると思います。0.7m〜3mは駆動幅が広く、シビアですが、3m以上は狭い。
この特徴が、人間関係──人と人との距離感と似ているのではないかと考えるようになりました。

0.7m = 手の届く距離
1m-1.5m = 親しい間柄
2m = はじめましての距離感
3m = 自分の世界と外界の境界
5m = 他人の世界
∞ = 外界

写真は、その場に足を運ばなければ撮ることはできません。
しかし現代を生きる私たちは、0.7mよりも近い距離で目にするスマートフォンやパソコンを通して、本来自分が知らなくても良いような情報に日々さらされている。
新型コロナウイルス感染拡大時に経験した物理的な距離感の制限と、その後のリモートワークの普及を経て、私たちは以前よりも人と人との距離感を見失っているように感じます。
写真撮影における距離感を学ぶことは、人との距離感を学ぶことなのではないか……そう考えながら、今回の写真展を企画しました。

– どの作品も色がとても素敵ですね。

カメラの背面液晶モニターに表示される色や、スマートフォンやPCに表示される画像は、私たちが撮影時に見た世界とは異なります。液晶画面ばかり見ていて、その場の空気感や光の美しさを覚えていない……という経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。
萩庭さんから写真を学ぶようになってから、私は撮影時のプレビュー画面はモノクロにし、現像も自分の記憶の中の色を再現しながら現像するようにしています。光学ファインダーを通して被写体を撮るM型ライカだからこそできる楽しみです。

宮﨑さんは、資料を手元において描くことを自ら禁じていました。資料をしばらく見つめた後、パン──と閉じて席に戻り、記憶をたぐりよせながら描く。思い出せないところは他の記憶や想像で描くことで、オリジナリティが生まれるのです。

押井守監督は、ロケハンの写真をモノクロで撮り、背景美術スタッフには「色を思い出しながら描いてほしい」と伝えます。スタッフは困惑しますが、宮﨑さんも押井さんも、同じことを考えている。大切なのは、自分の頭で記憶し、再現する時に新たなクリエイティブが生まれるということ。写真撮影においても、自分の目でしっかり見て記憶し、現像する時に再現することで、観る者に撮影者の見た世界を伝えることができるのではないかと考えるのです。

言葉と写真

– ShaShaの連載では、写真にまつわる考え方や撮影の心構えなどについての素晴らしい言葉が満ち溢れているように感じます。このような言葉はどのように紡ぎ出しているのですか?

宮﨑駿監督が小学生の取材を受けた時に答えた言葉が、今も鮮明に残っています。
「おじちゃんは何の仕事をしているんですか?」という質問に対し「考えるのが仕事なんだよ」と答えたのです。
私もそうありたいと思います。考えに考え抜いて、言葉にする。自分が考えたことが、言葉や写真などの表現を通して誰かに届き「なるほど、いいね!」と感じてもらえる時が幸せですね。
言葉は写真と共に考えたことを誰かに伝える道具です。

映画やアニメーションの世界においても、作り手は言葉を紡ぐことからプロジェクトを始めます。人間は、言葉を通して世界を理解している。これはお茶である、水である、ペットボトルに入っている……というような、私たちが生きている世界の認識を言葉を通して行い、他者と共有をしている。写真もまた、ビジュアル表現でありながら言語的でもある。言葉と写真は密接に結びついていますが、僕にとっては常に言葉が先にある気がします。
本当の天才は、ビジュアルだけで圧倒的な作品美を表現するのかもしれませんが、その写真の素晴らしさを我々が共有し、伝達するのに必要なことはやはり言葉なのだと思います。

ShaShaの連載の原稿は1時間くらいで書き上げていますが、書き始める前に、頭の中で書き終えるようにしています。移動している時や、興味のない打ち合わせに出席している時です(笑)何日か頭の中で言葉を組み立て、いったん脳内で書き終えた後、パソコンで出力し、いったん第三者の目になって読み直し、書き直します。
誰かに読んでもらうことも大切ですね。独りよがりの言葉が一番つまらない。伝わって初めて言葉であり、写真もそうだと考えています。繰り返しになりますが、言葉も写真も、私にとっては誰かに自分が感じたことを伝える手段ですね。

私は、エンターテイメントやアートは、記憶の中に眠っているイメージや感情を掘り起こすことだと考えています。
行ったこともない場所の写真を見て懐かしく思うとか、歌を聴いたら突然涙が止まらなくなるとか、優れた作品は、観る者、聴くものの人生で起きた同じような出来事に訴えかける力がある。私はそれを「あるあるスイッチ」と読んでいます。

カメラを手に被写体を探すという行為は、撮影者と鑑賞者の記憶の中にある「何か」を撮ることなのではないか。
宮﨑さん作品からは懐かしさを感じるし、押井さんのSF作品は、未来の物語なのに、あたかもその世界が存在しうるように感じさせてくれる。
これからも、観る者の記憶の中に眠る風景や、これから起こり得る決定的瞬間を撮り、写真の魅力を言葉を通して皆さんと共有できるよう、精進してゆきたいと考えています。

展示情報

・名称:『Mの旅人』─M型ライカで距離を測る旅─
・日時:2025年7月3日(木)~7月31日(木) 10:00 ~ 21:00
・場所:新宿 北村写真機店 B1F ベースメントギャラリー
・住所:東京都新宿区新宿3丁目26-14 [地図はこちら
・入場料:無料
・HP:新宿 北村写真機店ホームページへリンク

石井朋彦氏プロフィール

写真家・映画プロデューサー
「千と千尋の神隠し」「君たちはどう生きるか」「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」「GHOST IN THE SHELL /攻殻機動隊2.0」「東のエデン」等、多数の映画・アニメーション作品に関わる。写真家としても活動し、ライカGINZA SIX、ライカそごう横浜店、ライカ松坂屋名古屋店で写真展を開催。写真撮影における「距離感」をテーマに、写真の魅力を発信し続けている。

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