フォト工房キィートスで解き明かす、ニコン F2のメカニズム。
はじめに
東京の西大井にあるフォト工房キィートスをご存知でしょうか? 日本光学(ニコン)での長い社歴を持つ修理技能保持者が1998年に創業したニコン専門の修理工房で、メーカーでの修理対応が終了してしまった昭和時代の名機のメンテナンスに関する“駆け込み寺”的な存在です。不肖ガンダーラも何台かの機械式ニコンとニッコールレンズでお世話になった経験があります。
そのなかでも今日はニコンF2に的を絞り、前々から不思議に思っていた“ある現象”についての謎を解くため、キィートスさんの工房内で取材させていただくことになりました。
機械式ニコン修理のエキスパートが運営

キィートスの所在地はJR西大井駅から徒歩数分の好立地で、北向きの散光が入る精密作業に適した物件です。少数精鋭で運営されていて、早朝に訪問したところ創業者の國井猛さんが作業している姿を発見しました。どうやら本日はレンジファインダー機のニコンS3を分解しているようです。キィートスでは各人が得意とする機種で分業を行っているとのこと。今回のテーマはニコンF2ということで、主担当の長谷川晶樹さんをご紹介いただきました。

トップ画面のニコンF2フォトミックは、随分前にキィートスさんで整備してもらった機体で、一緒に写っているのは長谷川さんがこの10年間に修理を手がけたカメラの記録帳です。その中身を拝見すれば、ほとんどがニコンF2。そこで積年の謎を解くべく質問してみました。
中古で販売されているニコンF2は、シャッターを切り終わった際に“カィ〜ンッ!”という残響音がするものが多いのですが、キィートスさんの整備から上がってきた機体は“バシッ!”と折り目正しくミラーが静止し、感動的なほど残響音がしません。それには何か理由があるのでしょうか?
論より証拠でニコンF2を解体開始する

「ああ、そういうことですね。それなら実際に中身をお見せして説明しましょう」と、返答しているその瞬間からニコンF2の底蓋を外し始めた長谷川さん。プラスチック製の小分け箱の中にビスなどのパーツを入れながら作業は進みます。ニコンF2は基本的にプラスネジの仕様なので、ニコンFまでのマイナスネジを使っていたカメラと比較すると分解も組み立てもスピーディーに進めていくことができるそうです。

外革にドライヤーで温風を当てて接着剤を柔らかくしながら、同時にシンクロ接点の汚れを除去するためにエタノール系の溶剤を滴下する手際が見事です。外革をめくり上げて何本かのビスを抜き、カメラ本体と前板部を分離します。

ミラーボックスと一体化した前板部をボディからガバッと抜き取り、前板からミラーボックスを外すまでの所要時間はなんと6分30秒! 左右に分割された両肩のカバーも外さないと前板やミラーボックスは外せないと思っていたのですが、ニコンF2はパカッと分離できるユニット構造の設計だと判明。それにしても手が早い!と感心していると、間髪入れず長谷川さんは問題の核心を明かしてくれました。
「このバネの下にモルトが貼ってあって、それが劣化してしまうのが残響音の原因です」

取り外されたミラーボックスの側面で、カメラのマウント側から観察しても見ることのできない裏側の壁面に、ミラーの動きに関係する直巻きの引っ張りコイルバネが見えます。その下にはモルトプレン(通称モルト)という軟質ウレタンフォームが貼ってあるのですが、ドライバーで触っただけでポロポロと崩れていきます。この素材は加水分解する運命で、何十年かするとクズになってしまうのです。そうなるとスポンジ状の緩衝材としての役割は果たせません。

「モルトが劣化すると、バネとミラーボックスの金属板の間の空気が振動してしまって残響音が出るんです。ニコンF2をオーバーホールする場合には、そこまで分解して劣化したモルトを除去し、新しいモルトに入れ替えて、機械的な稼働部に注油してやると音が止まります」とのこと。
音が響くほど内部のモルトが劣化しているということは、そろそろオーバーホールに出すべきサインと捉えることもできますか? との質問に長谷川さんは「撮影に支障がなければそのまま使い続けることもできますが、全体的に同じ劣化を起こしているので目安にはなるかと思います」とのご意見をいただきました。
ニコンの機械式フラッグシップの最終機

これは前板にミラーボックスが組まれた状態のパーツです。ニコンF2のシャッター機構は、純然たる機械式です。前板の右側に見えるセルフタイマーの機械式モジュールを利用して2~10秒のスローシャッターを切ることもできます。この部分の不具合は殆どないそうで、機械式カメラ部品の精度や耐久性が長年の努力によって向上していったことが伺えます。

こちらはボディ底部に設置するスローガバナーという機械式モジュールです。ネジの締め方一つで変わってしまうという微妙なセッティング次第でスローシャッターの精度が決まり、オーバーホール後の調整作業で手間がかかるのもこの部分。一発で1/15秒から1秒まで正確な時間が出る場合もありますが、どうしてもバランスがとれず調整に数日を費やしてしまうこともあるそうです。その構造は1930年代に登場したライカIII型から殆ど変化していませんが、ニコンF2用のスローガバナーでは最終期にプラスネジで組まれたもの(写真:上)が少数存在するそうです。
整備・修理を進めていくためのリソース

ニコンF2フォトミックファインダーは、パカっと2つに分解できます。これが先代のニコンF用フォトミックファインダーではここまで明快に2分割されず、数多くの部品をバラバラにしていく必要があります。ニコンF2ではフォトミックファインダーもユニット指向の設計がされているのが明確ですね。分割した下ユニットのプリズムカバーには“工具”と書いてあります。これは依頼品の上ユニットと組み合わせて作動させ、不具合の箇所を特定していくための工具として使用するからだそうです。依頼品の下ユニットは、同様に工具として用意された正常作動する上ユニットに合体して効率的にチェックや調整を行っているそうです。

こちらは、フィルムに露光させる開口部の右端・中央・左端の3箇所でシャッター速度を計測することができる試験機。シャッター幕の走行速度が規定値の範囲内か、左右で露光ムラがないかをチェックして、正確な動作をするようにカメラを調整していきます。この計測器はカメラを組んだ状態でテストする目的のものですが、キィートスではこの他にもミラーボックスを取り外した状態で測定できる試験機も用意されています。

というわけで、中古品でよく耳にするニコンF2のシャッター残響音の理由を説明していただいた長谷川さんに改めて感謝です。カメラの内部機構に貼られたモルトは交換されず劣化している場合が多いという具体例を見ることを目的とした分解でしたので短い時間で進めていただきましたが、通常のワークフローにおけるニコンF2のボディとフォトミックファインダーの全分解・オーバーホールの工程に必要な期間はおよそ2日間。それから数日後に油が馴染んだ頃に速度の変化を見てふたたび微調整することで、お客様に安心して使っていただける状態に追い込んでいくそうです。
まとめ

今回はフォト工房キィートスさんにお邪魔してニコンF2の内部を拝見させていただきました。修理技能の確かさとスピードには、職人技を感じました。ニコンF2は、基本的な構造としてはニコンFをベースにしながら、ユニット指向で新設計されたカメラでした。簡単に組み立てられることは生産性の向上につながるだけでなく、分解の手順もシンプルになるというお手本のような設計に感心するとともに、モルトという素材の危うさも目の当たりにしました。とはいえ機械式であるがゆえに適切なメンテナンスをすれば末長く使い続けられることも実感。ニコンF2って、やっぱり良いカメラですね。
■執筆者:ガンダーラ井上
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間勤める。2002年に独立し、「monoマガジン」「BRUTUS」「Pen」「ENGINE」などの雑誌やwebの世界を泳ぎ回る。初めてのライカは幼馴染の父上が所蔵する膨大なコレクションから譲り受けたライカM4とズマロン35mmF2.8。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)、「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」(玄光社)など。企画、主筆を務めた「LEICA M11 Book」(玄光社)も発売中。
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■オーバーホールキャンペーン
フォト工房キィートスでは、2025年12月31日までオーバーホールキャンペーンを実施中。対象となるカメラはニコンFおよび記事でも取り上げたニコンF2。レンズはニッコールMFレンズ全般(ズームレンズを除く)で、オーバーホールを依頼するとキィートスのオリジナルステッカーを1枚プレゼント中です!
■キィートスのことを詳しく知る2つの方法
ニコンの一眼レフF、F2やレンジファインダーSシリーズなど、機械式フィルムカメラとニッコールMFレンズの修理と整備に特化することで、メーカーの修理対応が終了した古き良きニコンの持続可能性に貢献してきたフォト工房キィートス。そのホームページがリニューアルしました。修理可能な機種や料金の目安などの基本情報に加え、工房の歴史や修理への取り組み姿勢も知ることができます。
■ブランドブック フォト工房キィートスのすべて
フォト工房キィートスはどのようにして生まれたのか? その匠の技はどのように伝承されていくのか? 実際にオーバーホールをしてもらった感想は? フォト工房キィートスのすべてをまとめたコンパクトで高密度なブランドブック(A5版フルカラー20P)が完成しました。配布しているのは、中古売り場を設置している全国のカメラのキタムラのロードサイド店。料金は無料です。主筆はガンダーラ井上が務めさせて頂きましたので、ぜひお手に取ってご覧ください。
















