カメラはライカ
 さて、それほどまでに優秀なライカ、M3そしてM2ではあったが、現場のプロには大変に不満なことがあった。プロ写真家はアマチュア写真家と異なり、大変な量のフィルムを消費する。M3型の迅速なフィルム巻き上げレバーは、信頼に足るものであったけど、撮影後にフィルムを巻き戻すのは一仕事であった。M3はいまだに戦前のライカと同じ、ノブ式の巻き戻しであったからだ。その為に現場での巻き戻しの時間を省くのにもう一台のライカM3を持つ写真家も居た。ライツ社(ライカ社の当時の社名)に対してプロ写真家連中は、せめて日本製のニコンやキヤノンみたいな迅速にフィルム巻き戻しの可能なクランク式にして欲しいと要望したのだけど、フィルムを迅速に巻き戻すと、静電気などの弊害が起きる可能性があるから、クランク式は採用が出来ない、というのがライツ社の公式回答であった。

 ライカというのは実に不思議なカメラである。最初に登場した時には、破天荒な革命的カメラシステムであったのが、後には保守的になって、なかなか新しい機構を採用しようとしなかった、これはその一つの例であった。仕方ないので、プロ連中はノブの上にクランク式のアダプターなどをかぶせて、自己流でライカM3、M2を使用した。当時のアメリカには、そういうプロ用のアクセサリーを制作する工房があったのだ。

 1967年。ライツはライカM4を発売した。このモデルで初めてクランク式巻き戻しを採用している。さらに今までのフィルム装填のように、いちいちカメラのボデイから巻き上げスプールを取り外して、その先端にフィルムを差し込むのではなしに、最初からボデイ内にスリットがついたスプールが固定され、そこにフィルムを差し込む方式であった。これで、それまでの問題点はようやく解消したのだった。さらにM4では35ミリのブライトフレームの中央に135ミリのフレームを追加した。

1967年登場のライカM4は、それまでのライカM3の現場での操作の問題点を解決した。フィルム装填関係が大幅に向上したのだ。M2からの発展型であるM4は、その後、M6へと進化を続ける。(協力:三共カメラ)
1971年、ライカの新しい発展を見据えて登場したTTL方式のライカM5であったが、逆にライカファンの「保守的ライカ美学」に反抗されて、予想外に人気の出なかったモデル。しかし、最近ではその価値が再評価されている。(協力:三共カメラ)
ライツはコンパクトライカ路線としてライカCLを1973年にミノルタと提携して発売。その改良型のミノルタCLEは絞り優先のオート機で、噂ではライカの次世代機になる予定であったらしい。しかし、結局はミノルタブランドで発売になった。
 ライカM4と同時に開発されていたのが、ライカM5である。こちらは4年ほど遅れて1971年に登場した。それまでのライカのスタイルを一新する、やや大型で角ばったデザインであった。非常に精密なTTL方式のメーターを内蔵し、見やすいファインダー内で、露光をコントロールすることができた。M5のデザインは1974年に登場したライカフレックスSL2と似ている。ライカとしては、クラシックな角の丸いライカスタイルに、ここらで見切りを付けて、あらたなライカデザインに飛翔しようと計画したらしいけど、一般ユーザーにはその未来的デザインのM5は非常に不評であった。あんなに大きな弁当箱みたいなのは、ライカではない、というのである。

 そこでライツは1973年に日本のミノルタと技術提携して、コンパクトなライカ、すなわち、ライカCLを発表した。これも四角いボデイデザインであったが、コンパクトで常時携帯できる、というコンセプトで、日本国内向けにはライツミノルタCLの名で発売された。このモデルは後にミノルタCLEとなり、絞り優先式のライカとなる予定だったが、ライカ社の事情により、それは断念されたという噂がある。

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