日本のカメラよもやま話
最終回
日本の「らいか」と日本の「こんたっくす」
戦前、戦後の日本の距離計カメラを旅する。

 昭和20年代から30年代にかけて、覇権を争ったのは、ニコンとキヤノンである。ニコンSシリーズはコンタックスマウントを採用し、その外見もツアイスの名機コンタックスを意識していた。一方のキヤノンの各種モデルはライカスクリューマウントを採用し、そのスタイルはライカを意識していた。ライカ×コンタックス戦争は当時は欧米だけの話で、日本国内ではニコン×キヤノン戦争であったのだ。

 そのニコンやキヤノンでも高価であるというので、より安価な国産のライカタイプも登場した。ニッカ、レオタックス、タナック、チヨカなどのライカコピー機も市場に受け入れられた。なにしろ、本家のライカは高嶺の花どころか、雲の上の存在であったのだから、国産ライカコピー機でも大歓迎だったのだ。一眼レフブームになった1960年代に、レンジファインダーブームはニコンS3や、キヤノン7などを最後にして一応終焉となった。その後1970年代にはライツとミノルタが技術提携の結果として、ライツミノルタCLを出し、その後継機としてミノルタCLEも登場した。ところが、それから20年が経過した2000年になって、40年前のレンジファインダーブームがまた復活して来たのだ。
戦後のチープライカコピーであった、タナック。これは田中光学製でアメリカでもその実用性と求めやすさで人気機種だった。現在、我々はこういうカメラをライカコピーではなく「らいか」と呼ぶべきなのだ。
 
 
 
 
 
 これは回顧趣味というよりも、もっと意志をもった、レンジファインダー機の見なおしが行われた結果であろう。オートフォーカス一眼レフやデジタルカメラの普及が、写真撮影を楽なもの、考えないで可能なものという認識にしてしまった結果、レンジファインダー機の考えて撮影する良さ、モチーフをファインダーで直接確認できる良さが再認識されたのだ。往年のニコンS3がそのままに復刻されたり、ベッサRやコニカヘキサーというような、21世紀スタイルのレンジファインダーカメラが続々と登場してきた。

 第一次ブームだった1960年代のレンジファインダー機と、現代のそれとを比較するに、その機構的な進歩は言うまでもないが、それ以上に注目に値するのは、最近登場した、フォクトレンダーや、リコーやヘキサーなどのライカマウントやコンタックスマウントの新鋭レンズ群である。これら、最新設計のレンズを使用すれば、40年前のクラシックなレンジファインダー機でも、即座に最新の描写をするカメラに生まれ変わる。同時に、クラシックなレンジファインダー機の使い心地の良さはそのままだから、これはまさに、「古い革袋に新しい酒を盛る」という古いことわざの現代語訳でもあろう。
日本製の「らいか」の2001年における最新の進化形態を示す、ベッサTとコニカヘキサーRF。ともにライカMマウントを装備し、ヘキサーRFは、モーター巻き上げの自動露光のフルオート機。一方のベッサTはファインダーを廃止し、専用ファインダーのみを利用し、ラピッドワインダーを採用した、個性派である。
 
 
 
 そこで、我々カメラ人類は、本家のライカやコンタックスに対して、これらの日本製のレンジファインダー機を、親愛の情を込めて、「らいか」そして「こんたっくす」と呼ぼうと思う。第二次大戦直後には、ドイツ製カメラの真似であると、世界から批判されていた、これらのカメラは、今、ようやくその正しい評価を得ることになったのだ。
【完】
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