日本のカメラよもやま話
第2回
大昔のレンズシャッター式
レンジファインダーが新しいぞ!

 まずオリンパスワイドが登場した。これは距離計も何も付いていない35ミリ広角レンズを固定したレンズシャッター式カメラだった。これは一気に大ブームとなった。その当時フォーカルプレーン式のレンズ交換ができるカメラだと、まだ35ミリの広角レンズは非常に高価だったのに、その交換レンズよりさらに安い価格でオリンパスワイドが買えたのである。

 そうなるとこれは日本のカメラメーカーの長所でもあり短所でもあるのだが、各社から同様な35ミリレンズを付けたワイドカメラが山のように登場したために、結局市場の食い合いになってしまって、このブームは終えんを告げた。その後、今度はカメラにセレン式のメーターが内蔵されるようになり、さらにこれらはまだ非常に幼稚な段階ではあったが、セレン式メーターの自動露光がブームとなってゆく。
アルコというメーカーは大きなメーカーではなかったけど、常にユニークな製品つくりで知られていた。1950年代にすでに蛇腹式の35ミリカメラを市場に出していた。これは、コダックレチナに習って、携帯性を重視したカメラだったが、このタイプは国産では唯一の存在だった。しかも、アルコ35の場合には距離計と連動して35センチまでの接写が可能。
 
 
 
 
 
その代表選手はキヤノンのキヤノネットであった。レンズの周囲をセレン式のメーターの受光部でぐるりと囲んだそのスタイルは、その後各社から登場する同じようなカメラの基本デザインとなった。このキヤノネットも現代にちゃんと実用になるカメラなのである。しかも最近私がこのカメラを手にしてびっくりしたことはその造りの良さだった。なんと最近のカメラにはない材質感、つまり全金属製のカメラだったのである。中古市場では安ければメーターがちゃんと動いているカメラが数千円で買えるのだし、しかもレンズも優秀である。この種類のカメラは当時はEEカメラと呼ばれていた。エレクトリックアイの意味である。この「電気の目」という言い方が、実にあの時代を象徴していて私は好きな言葉である。

 ところで日本という国は大変なアイデアを出す大国であるから、レンズシャッター式のカメラにもいろいろなアイデアが登場した。そのひとつはレンズ交換式のレンズシャッターカメラである。その当時レンズ交換式のカメラなどいうものは庶民にとっては夢のまた夢であったから、その価格が比較的に安いレンズシャッター式のカメラに、レンズ交換を可能にするということは非常に魅力的な商品であった。

各メーカーがこれを製作したが、その代表選手はアイレス35Vである。このカメラはレンズの全部の構成をそっくり交換するもので(他の機種ではレンズの前部分だけを交換するのが普通だった)しかも45ミリの標準レンズではその明るさが当時としては驚異的な大口径レンズ、F1.5だったのである。35ミリと100ミリの交換レンズをセットにしてアメリカ市場などでは非常によく売れたカメラであった。
 
 
 
 
 
 一方でコダックのレチナのような蛇腹式のユニークなカメラもあった。その代表選手がアルコである。それも単に蛇腹式で携帯に便利なだけではなく、アルコの場合にはその最短撮影距離が30センチ近くまで接写が可能なのである。これもユニークなレンズシャッター式カメラであった。

 宇宙カメラとして、35ミリカメラで最初に使われたのは、マーキュリー計画で使用された、ミノルタハイマチック7がある。これはアンスコオートマットという名前のアメリカ市場向けのカメラであったが、ミノルタは、自動式レンズシャッターカメラの老舗である。私が気に入っているのは小型化されたミノルタのミノルチナPである。38ミリレンズを付けた、シンプルでブラッククローム仕上げのカメラは、現代では、逆にスナップカメラとしての精彩を見せている。

 レンジファインダー式のレンズシャッターカメラは中古市場でも、手にいれやすい。近くのキタムラの中古売場をチェックしてみよう。
1960年代初頭には、押せば写るEEカメラの全盛期となった。ミノルタハイマチックは、アメリカはナサのマーキュリー計画でグレン大佐が、宇宙で実際に使用した、最初の日本製カメラとなった。ただし、アメリカでの、このカメラの名称は、アンスコオートマットである。特殊なグリップに付けて、上下を逆にして撮影していたのが、少年時代の私には、いかにもスペースカメラという気がした。
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