路上観察紀行

 路上観察学会創設以来、その事務局長を務められている松田哲夫氏は、「ちくま文庫」や「ちくま文学の森」などを創刊されて筑摩書房を再興、現在は同書房の常務取締役でいらっしゃいます。赤瀬川原平氏や南伸坊氏とは路上観察学会発足以前から親交がおありでした。学会の創設に深くかかわってこられた松田氏と、学会の顔とも言える赤瀬川氏の出会いはどのようなものだったのでしょう。まず、そのことからうかがいました。

 赤瀬川さんとは私がまだ10代の頃、都立大学の学生だったときに知り合いました。その当時、赤瀬川さんは『千円札事件』という、芸術と犯罪の境目に関わる裁判で争っていたんです。それが面白そうだったので、大学の学生新聞を編集していた私は、赤瀬川さんにその事件について、学生新聞に掲載する原稿の執筆をお願いしたんです。そのときにお会いしたのが最初で、その後、時々会っているうちに、私と赤瀬川さんは趣味や性格が似ていることがわかってきました。

気が合うということで、それから『櫻画報』を一緒にやったり、赤瀬川さんが美学校で講師を務めていたときには、私は「助教授」をやっていました。実際は助手をだったんですけど(笑)。その赤瀬川さんの講義を受講しにきた生徒の中に、南伸坊さんがいたんです。

※1:1965年、赤瀬川氏が芸術作品として制作した千円札が「通貨模造」の罪に問われた事件です。

※2:70年代に赤瀬川氏が雑誌を”乗っ取る“かたちで連載した作品。独自の批評を盛り込み、イラストレーターとしても活躍されています。

古代遺跡を掘ったときに使った手袋を、棒の先にさして並べて干してある。地面からニュッと古代人の手が伸びてきているようにも見える。(多賀城址)
港町では船の塗装でペンキを使う機会が多い。その影響からか、壁面にもペンキで美しい模様が描かれていた。(塩釜)
 
 
 
 その後、赤瀬川氏と松田氏、南氏の三人は共同で、イラストに執筆にと幅広い創作活動をはじめるようになりました。そして三人は偶然に、路上観察のきっかけとなる不思議な階段を見つけます。

 三人で四谷の旅館に合宿しながら仕事をしていたときのことなのですが、その旅館の側壁に、ただ登って降りるだけの妙な階段がついていたんです。登ったからどこかへ出るということではなく、ただ階段が壁にくっついているだけなんです。「これは何だろう?」と三人とも不思議に思いました。実はこれがトマソンの第一号物件で、私達は「四谷階段」と呼んでいます(笑)。

この階段との出会いが、後の路上観察へとつながってゆく最初の一歩になったのですが、赤瀬川さんは以前から冗談まじりで、町にあるものの方が芸術より面白いんじゃなかろうかと言ってました。意図して作られたものではない、成り行きで出来上がってしまったものが、見方を変えてみると前衛芸術を超えるようにも見えてくる(笑)。そこで町中の、無用の長物と化している不思議な建造物を『超芸術』と呼ぶようになったのです。

※昔、野球の読売巨人軍にトマソンという、ほとんど活躍しなかった現役大リーガーの外人選手がいました。トマソンとはここからとった名前で、町の中の無用の長物のことを意味し、後に赤瀬川氏が「超芸術トマソン」として発表され、知られるようになりました。
いたずらした子狐を叱っている親狐。でも、親狐の方が悪さをしそうな顔をしている。(岩沼)
飲み屋さんの窓がおちょこの形をしている。これほど大きなおちょこでは、とても飲みきれそうにない。(松島)
 
 
 
 
 
 
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