路上観察紀行

 全国の忘れられた西洋館などの調査をしていると、面白い話が色々とあるんです。それで、そうした話を書いて主に建築の専門誌に発表していました。それを見た編集者で、現在は路上観察学会のメンバーでもある松田哲夫さんが、突然私のところにやってきて、私の書いた雑文を本にしたいと言うんです。

その頃にはもう調査は終わっていて、私は終わったことには興味がありませんし、次の研究も初めていたので忙しく、最初は断ったんです。それでも松田さんはあきらめずに、またやってきました。「今まで書いたものを貸してください。こちらでまとめますから」と言うので、書いたものを渡すと、一ヶ月後に本の見本を持ってやってきたんです。それで「こことここが少し足りない」と言う。そこまでやってくれていますから、仕方がないので私も古い文章に手を入れる気になりました。手を入れはじめると、足りないところも目につき、結局、半分ほど書き下ろすことになってしまいました。
二階にズラリと並んだホウキ。鹿沼はホウキの需要が高いのだろうか?(鹿沼)
コロニアル風の西洋館を見つけた。お医者さんのお宅で、今でもここで開業されている。(鹿沼)
 こうして世に出た『建築探偵の冒険 東京篇』で、藤森氏は日本文化デザイン賞とサントリー学芸賞を受賞します。この後、氏のもとに林丈二氏の写真集『マンホールの蓋』の書評の執筆依頼が舞い込みました。藤森氏はこの話を赤瀬川氏に頼んではどうかと提案。前号の林丈二氏の回でも紹介したとおり、これが「路上観察学会」発足のきっかけとなりました。

 ある日、出版社から林丈二さんの、マンホールの蓋の写真集を出版するので書評を書いてくれないかという電話がきたのです。私は断ったんですよ、マンホールの蓋なんか嫌いだからって(笑)。それからしばらくすると、林さん本人が写真集を持って現れたんです。見てびっくりしました。すごく画期的な写真集だったので。わたしはその時、「この写真集はぜひとも世に広めなければならない!」と思う反面、立場上「アブナイ!」とも思いました。こんなことをしていてはアカデミストとしての立場がなくなると思ったんです(笑)。それで赤瀬川原平さんに書評を書いてもらってはどうかという提案をしたのです。

 これを縁に藤森氏の路上観察は、学会の皆さんとともに日本各地へ、また上海へと活動の領域が広がっていきました。ちなみに「路上観察学会」では会員の一人一人にあだ名がつけられていて、赤瀬川氏は「長老」、林氏は「神様」、南氏は「大人(たいじん)」、松田氏は「歩く資本主義」、そして藤森氏は「マホメット」と言われているそうです。
名物の日光羊羹。よく見ると下の列に一つだけ逆さまに置かれたものがある。これは間違えたわけではなく、全部を同じ方向に揃えると縁起がよくない、という古い言い伝えが今でも守られているため。(日光)
ビルのはざ間にポツリと御神体がある。再開発の波にさらされて、神様まで追いやられてしまった。(日光)
矢板にポツンポツンと残されていた蔵のひとつ。 仲良く並んだ夫婦蔵である。(矢板)
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