日本のカメラよもやま話
第2回
大昔のレンズシャッター式
レンジファインダーが新しいぞ!

田中 長徳
たなか ちょうとく/1947年東京生まれ、日大写真科卒。日本デザインセンター勤務の後、1973年からフリーランス写真家に。ウィーンに8年間、ニューヨークに1年間滞在。東京、ウィーン、ニューヨークなどで個展多数開催。著書写真集多数。最近はクラシックカメラのエッセイの仕事も多い。日本写真家協会会員。
 
 
 
 さて第2回目である。これだけ世の中にデジタルカメラが広がってくると、逆にフィルムを入れて写真を撮るという昔ながらのカメラの存在が非常に珍しいものになってくる。ところで、デジタルカメラが世の中の通常の撮影手段になってくると、最近ではデジタルカメラのメモリーのことをデジタルフィルムと呼ぶようになった。

 私にはこの言葉がなかなか実感として理解できないのだ。実際には私もデジタルカメラを仕事に愛用しているのであるが、あのメモリーというやつは実に味気ないものである。単に突っ込むだけだからである。世の中の仕組みにはすべて便利ということが優先するというしきたりがある以上、メモリーを簡単に挿入するということがカメラのシステムを便利に使うための必須条件なのではあろう。そこがへそ曲がりの私にはどうも面白くない。

例えば私が日常に使っているカメラは普通のデジタルカメラであるが、64メガバイトのメモリーを入れるとファインモードで150枚以上の写真が撮れるのである。確かにこれは便利である。しかしながらそこには大切なものが抜けているのだ、と思わざるをえない。というのはそれがフィルムを入れるカメラであってみれば、フィルムを装填するということが実は写真を撮影する上でのかなりの楽しみになっていたのだということを今になって思い知るのである。
やはりフィルム装填の楽しみ、これを大切にしなければならない。そのフィルムの装填というものは、35ミリフィルムにその真骨頂があると思われるのだ。ご承知のように35ミリのフィルムというものは、映画フィルムの子供であって、世の中ではライカがその最初の第一歩を刻んだということになっている。しかし1920年代前後のカメラの歴史を調べてみると、何もライカだけが35ミリフィルムを使うカメラとして最初の一歩を歩んだのではない。あの当時には35ミリフィルムを使うマイナーなカメラがかなりの数、存在したのだった。ただそれらのカメラはそのアイデアが突飛すぎたりした。

例えばアメリカ製のツーリストマルチプルというカメラがあるのだが、このカメラは35ミリフィルムのハーフサイズの画面を750枚以上撮影できる欲張りなカメラだった。当時はまだ飛行機が旅行の交通手段となっていない時代だったから、船旅が主だったのである。その船旅の何週間かかかる長い旅行の記録をそのままにすべて撮影してしまおうという意図から750枚撮りというような膨大な撮影カットを一度に収めることができるカメラが登場したのであった。ただし全く売れなかったようである。そういう35ミリフィルムを使う数々のカメラの中でライカがたまたま一番使いやすいという程度のことであったらしい。
パックス35は、1950年頃にまだ国産カメラはニッカとか、ニコンS2とかの時代に登場した超小型の35ミリレンズシャッターカメラである。制作は大和光機。写真では大きさが分かりにくいが、外見は、キヤノンの初期の2Bモデルなどに似ているが、そのサイズはふた周りほど小さい。しかも、なかなかの精密感がある。アメリカでも人気の機種であった。
 
 
 
 最近ではライカというものはかなり神格化され、いわば尊敬の対象になっているようだが、その誕生当時にはライカもまたその他の無数のカメラと同じスタート台に立っていたのだった。ライカが昔も今も高級カメラということには変わりがないけれども、同じ規格のフィルムを使うカメラで、もっと安価で単純で楽に使うことのできるカメラ、そういうシンプルなカメラが実は35ミリ写真術の精神をもっともよくそこに表現しているのではないだろうか。

例えばドイツにはライカの好敵手として1932年にはツアイスイコンのコンタックスが登場したけれども、これはライカと同じようにフォーカルプレーンシャッターを装備した高級機である。そういうカメラに比べればほぼ同じ時代に初めて登場したコダックのレチナの方が、はるかにシンプルで実践的なカメラといえないこともない。これは蛇腹式のカメラであって、初めてのエベレスト登山で頂上に立った登山家がこれを使用していたという逸話もある。蛇腹式のカメラであるから携帯は容易だろうし、第一寒風が吹きすさぶエベレストの頂上などではレンズ交換もできる道理はないからそういうレンズが固定式のシンプルなカメラというのが道具としては実際には万能カメラよりも役に立つのである。
戦後の国産35ミリレンズシャッターカメラの黎明期の一例が、リコレットである。ダイカストボデイに高級感を持たせ、当時のシンプルな35ミリカメラはセルフコッキングではなかったのに、このカメラではちゃんとフィルムの巻き上げに連動してシャッターがチャージされる。理研光学とは、現在のリコーのことである。小学校の同級生が遠足にこれを持参して、羨ましかった記憶がある。
 
 
 
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