日本のカメラよもやま話
その壱 日本一眼レフの勃興
〜オートフォーカスの夜明け前まで〜

 戦前から1950年代までの35ミリ一眼レフというカメラは、これは今のようにメジャーな存在ではなかった。戦前に目をやって見れば、ドイツはドレスデンのキネエキザクタが、(他にはソ連のスポルト、あるいは戦後のハンガリーのデュフレックスもあったけど)唯一の使える35ミリ一眼レフであった。そのエキザクタシリーズは本来は127フィルム、すなわち、ベスト判の一眼レフエキザクタが主流であったので、わざわざ、キネと断っていた。キネとはドイツ語のKINO、つまり35ミリ映画用フィルムを使うエキザクタの意味である。ただし、その当時のエキザクタを始めとする35ミリ一眼レフは、これは学術用の特殊カメラと見なされていた。それで、その価格も大変に高価なもので、戦前の日本のカメラ雑誌でのエキザクタの紹介記事には「値段は聞かぬが花」と書かれていたそうである。

 そういう一眼レフの畑に種を蒔いて、今日の一眼レフの大森林を育成した、日本のカメラ工業の成果は実に大したものである。ところで35ミリ一眼レフが、その進化の過程で使いにくかったのには二つの理由があった。それは、ファインダー画像が左右逆に見える、上から覗く方式のファインダーと、撮影した後にミラーが上がりっぱなしになる、ブラックアウトするミラーのせいであった。これを解決する為、ペンタプリズムファインダーを最初に国産機で装備したのはオリオン光機のミランダTで、これでファインダーの問題はともかく解決された。さらに、ミラーをインスタントリターン方式にして、撮影後もそのままの画像が観察できるようになったのは、ペンタックスの前身のアサヒフレックスからである。(ただし、ファインダーはまだ上から覗く方式であった。)

いずれも1950年代半ばに、そのような新しい技術革新が行われて、一眼レフの今日の使いやすさの土台が、此処に打ち立てられたのである。ミランダは、欧米ではかなり有名な一眼レフであったけど、現在、その会社は残ってはいない。一方、ペンタックスの隆盛は、ご存じの通りである。そのペンタプリズム式35ミリ一眼レフ、アサヒペンタックスは一大ブームとなった。その理由は、各種交換レンズが自由に駆使できる点にある。まだモノクロ時代のテレビCMで「ペンタックス、ペンタックス…望遠だよ…ワイドだよ…」という懐かしい広告を覚えている、団塊の世代の皆さんもいることであろう。
ここに紹介する一眼レフは、私が日々の仕事に使用している「現役機」である。ミランダSは、1950年代半ばのカメラであるが、シンプルな機構なので、一向に古くならない。各種マウントアダプターを付けて、使用中。これはエキザクタアダプターでドイツ製のマクロ撮影が可能な35ミリ広角レンズが付いている例だ。
銘機ニコンFに一戦交えようとして、1960年代初頭に登場したキヤノンフレックスR2000である。これは世界最初の2000分の一秒のシャッターを装備していた。主にアメリカに輸出されたようである。この当時のスーパーキヤノマチックの交換レンズシステムは、上品な描写をする。35ミリから200ミリまで揃えて、仕事カメラとして活躍中。
 
 
 
 1958年になって、日本光学からそれまでのカメラとは、全く異なるタイプの最高級一眼レフが登場した。ニコンFである。ライフを始めとする、アメリカの報道関係で、ニコンFが正式機種として採用されたのを皮切りに、日本国内でも、それまでは報道の機材は4×5の大型カメラ、スピードグラフィックスが標準機材であったのが、次第にニコンFが採用されるようになった。

その理由は、ニコンFは実に頑丈なカメラであり、そのファインダー倍率が視野率100パーセントであったのも、その理由だが、その背景にはそれまでレンジファインダー機、ニコンSPなどですでにその優秀さが認められていた、ニッコールレンズ群が、そのままニコンF用にアダプターで転用できたこと、さらに、ニコンFの発売と同時に自動絞り機構と、メーター連動機構を完備したオートニッコールレンズ群が28ミリから200ミリまで一度に発売されたことにもよる。ニコンFは最初からプロ志向のカメラであり、1960年代にはニコンFを所有するということは、プロ写真家志望の青年が、最初にクリアするべき関門でもあった。私とて例外ではなく、ニコンFのブラックボディを2台所有して、これで撮影した作品で、1969年の夏に東京銀座のニコンサロンで、初個展を開催したことなどは、懐かしい思い出である。
配偶者からの誕生日プレゼントは、スワロフスキー製の一眼レフのミニチュア。本体は、幅2センチほどだけど、こういうモノを、マクロで撮影できるのも一眼レフの有り難さ。1971年製の古い一眼レフに2000年製の新鋭レンズの組み合わせは、時代を超えた道具となりえる。
■カメラ:ニコンF2 レンズ:マクロアポランター125mm F2.5 絞り:F8 シャッタースピード:1/125秒 フィルム:コニカクローム新羅
ニコンFは10数年の現役時代を持つ銘機だったが、その後継機ニコンF2では初めて、モータードライブを無調整で取り付けられるようになり、内蔵メーターも進歩して、プロ写真家の信頼感が増した。私は、30年前にそのニコンF2のカタログの撮影に立ち会った、古参のニコンファンであるが、このブラックのニコンF2は、いまだにどこも悪い箇所のない働き者だ。
 
 
 
 ニコンFの勃興と期を一にして、ほぼ同時代に、以前からニコンの良きライバルであったキヤノンは、最高級一眼レフ、キヤノンフレックスを登場させ、さらに同型機で、2000分の1の、当時としては世界最高速を誇る、フォーカルプレーンシャッターを搭載したキヤノンフレックスR2000を、主に北米市場で売り出した。しかし、プロ用一眼レフの分野では、キヤノンはニコンの後塵を拝することになってしまう。実際、キヤノンがニコンに追いつく為に満を持して世に出したのは1970年のキヤノンF1からであり、ここに初めてニコンとキヤノンのそれぞれの最高級一眼レフが、その覇権をかけて、世界のプロ市場を檜舞台に、熱い終わりのない戦いを開始することになったのである。
ライバルであるニコンF2に対抗する新機種というので、1970年登場のキヤノンF1を大幅に改良したのが、このニューF1である。(最近ではこのモデルをF1と呼んで、その前のモデルを旧F1と呼ぶことが多い)当時のキヤノンはレンズ群はニッコールの一歩先を歩んでいたので、このF1でキヤノンはニコン党からかなりの「党離脱者」を獲得することができた。
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